以前にも述べたことがありますが、我々はメロトロンの継続的なメンテナンスに疲弊したため、今ではオリジナルのメロトロンを所有していません。しかしながら、メロトロンのオリジナル・サウンドから得た恩義に対して決して非難するつもりはなく、音楽的遺産という観点から、この考えを変えないというつもりではありません。
24トラックのサウンドを備えた、ストリートリー・エレクトロニクス社の壮大な”M4000″(2007年に発売された最新型メロトロン)は、私たちのスタジオに再び十分なスペースを確保するのに十分な説得力を持っているかもしれません。
GForce Softwareの”M-Tron”が”M-Tron Pro”へ進化したことと同様に、オリジナルのメロトロンのMk I (1962 – 1963)から、M4000 (2007 -)への進化は非常に明白であり、ハードウェアの道のりはかなり長く、より興味深いものとなっています。
以下の文章は、M-Tron Proのマニュアルに収録されている、ゴードン・リード氏の”メロトロンの歴史”から抜粋したものです。
ビル・フランセン、ブラッドマチック兄弟、エリック・ロビンソンが共同設立したメロトロニクス社で、初代メロトロンであるMellotron Mk Iが誕生
メロトロンの歴史の始まりは、ハリー・チェンバリンが各キーごとに録音されたテープを演奏するという原理を用いた、”チェンバリン・ミュージックマスター”を製作したところから始まります。しかし残念なことに、この楽器は非常に気難しい楽器であったため、当時のセールスマンであったビル・フランセンは、イギリスのブラッドマチック社に解決策の可能性を求めました。
フランセン、ブラッドマチック兄弟、バンドリーダーのエリック・ロビンソンが力を合わせてメロトロニクス社を設立し、1963年には当時1,000ポンドもした”Mellotron Mk I”が誕生しました。
Mellotron MKII
その後も信頼性の問題から1年後に”Mellotron Mk II”が登場し、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ムーディー・ブルースなどのバンドに受け入れられて、この楽器のコンセプトは一躍脚光を浴びることになりました。ビートルズの”ストロベリー・フィールズ・フォーエバー”は、おそらく史上最も有名なメロトロンの演奏であり、この素晴らしい楽器の不朽のサウンドを証明しています。
M400は適切な時期に誕生した製品であり、すぐにプログレッシブ・ロックの愛好家の間で大々的に採用された。
しかし、メロトロンは350ポンドもの重量があり、運搬するには相応しいものではありませんでした。そこで1968年、より小型で安価な”Model 300″が登場しました。これはジェントル・ジャイアントやバークレイ・ジェームス・ハーベストを含むバンドに受け入れられましたが、またしても信頼性の問題が表面化し、数年後には”Model 400″がこれに取って代わりました。
M400は適切な時期に誕生した製品であり、すぐにプログレッシブ・ロックの愛好家の間で大々的に採用されました。そのサウンドは紛れもなく相変わらず素晴らしいものでしたが、またもや信頼性に問題がありました。これはツアーの過酷さと要求に起因するところが大きいかもしれませんが、それにもかかわらず、あるツアーの終わりに、業を煮やしたリック・ウェイクマンはM400を無情にも燃やしてしまったという話があります。
実際は、リック・ウェイクマンはメロトロンのサウンドをとても愛していましたが、M400の信頼性を嫌っていたため、デヴィッド・バイロは8トラックのテープをベースにした楽器のアイデアを彼に持ちかけました。そしてリックが多額の投資を行い、開発された”Birotron”は、テープ再生時間の制限を改善した、より軽い楽器として誕生しました。噂では30から50台が生産されたと言われていますが、技術的な問題とポリシンセの時代の幕開けにより、1979年に会社は解散を余儀無くされました。
Mellotron MKII
ポリシンセとストリング・マシンの新時代は、メロトロンというジャンル全体に終焉を告げるかのように思えました。1975年に最後のメロトロンである”Mk V”が登場しましたが、レッド・ツェペリンのジョン・ポール・ジョーンズのような著名なユーザーでさえも、数年後にメロトロニクス社が倒産するのを止めることはできませんでした。
メロトロンの商標権を売却したストリートリー・エレクトロニクス社は、幸いなことに倒産を免れましたが、”メロトロン”の名前はもはや彼らによって使用することができなかったため、彼らは”Novatron(ノヴァトロン)”という名称で4つのモデルの製品を開発しました。
※余談ですが、その中の一つである”T550″は、オリジナルの”M-Tron”のフライトケースボックスのベースとなったモデルです。
それにもかかわらず、技術は進歩し、手頃な価格のデジタル・サンプラーの出現により、1986年にストリートリー・エレクトロニクス社が会社の任意整理に入ったときには、ついにメロトロンの時代が終わったかのように見えました。
Mellotron M4000
80年代後半から90年代にかけて、この楽器への関心は、少数の熱心なユーザーと、自分の楽器のスペアを必要とする既存のユーザーの間のみに留まっていました。それは私たちがオリジナルの”M-Tron”をリリースするまでの話です。
M-Tron Proのユーザー・インターフェイス
すぐにオリジナルのメロトロンへの関心が高まり、もっと音源を出してほしいという要望が殺到しただけでなく、裕福なM-Tronユーザーの中には、オリジナルのハードウェア・バージョンが良い投資になると判断した人もいました。実際、しばらくの間、既存のメロトロンの修理や改修を行っていたストリートリー・エレクトロニクス社は、需要を満たすほどの古い楽器が現存していないことに気づきました。
そして最後に
そして今日、2台のテープ再生式メロトロンを製造するという結果になりました。メロトロンの商標権の所有者であるデヴィッド・キーンは、マーカス・ライヒと共に”Mk VI”を製造、販売していますが、ストリートリー・エレクトロニクス社はMk II以外では最高の真のメロトロンである”M4000″を製造しています。