「RipX DAWはまるで超万能なスイスアーミーナイフだ。教育、ミキシング、サウンドの実験など、さまざまなワークフローに対応できる。編集・サウンドの変形・MIDI操作をひとつのワークスペースで完結できるのが最高なんだ。複数のプログラムやプラグイン、ハードウェアを行き来する必要がない」

7歳のときにアフタースクールに通いながらピアノを習い始めたケヴィン・ベル。やがてバンドに参加し、家族の幅広いレコードコレクションを聴くうちに音楽への情熱が芽生えた
「最初に出会って夢中になったのは“The Meters”。彼らは今でも俺にとって史上最高のバンドだね。実家のレコードコレクションにある彼らの45回転盤をずっと聴き続けてきたよ」
それから影響を受けたのは、Mizell Brothers、彼らのレコードを聴くたびにクリエイティブなモードに入るんだ。そしてThe Electrifying Mojo(ラジオDJ)。彼は俺の耳を“アーバン・ミュージック”の枠を超えた世界へと開いてくれた。彼の番組のイントロは一生忘れられない!あのラジオショーは本当に“エピック”だった。
後は、The Wizard(Jeff Mills)。彼のラジオを聴くたびに、ブレンド、スクラッチ、ダブルプレイなどの完璧なマスターミックスを聴かせてくれた。彼がオンエアしていると、もう興奮して仕方なかったよ。「どうやってあんなことしてるんだ!?」ってね。他にもHerbie Hancock、Steely Dan、DJ Premier、Organized Noizeなど、影響を受けた人は数えきれないね。
ヒップホップ製作との出会い
「学生時代にプルーフ(D12)と再会したのが転機だった。彼を通じてエミネムと出会ったんだ。当時は『Infinite』を録音している頃で、俺のSP1200を貸すためにスタジオへ行ったのが最初のきっかけ」
「高校と大学時代、デトロイトで人気のDJだった従兄弟や他の様々なDJたちのために、機材やクレートを運んでいた。その仕事を通じて、多くのベテランDJたちから学ぶ現場の中心に身を置くことができた。その全てを自宅に持ち帰り、大学時代には小規模ながら実践を重ねていたんだ」
ケヴィンはハービー・ハンコックなど興味深い人物が表紙を飾っている場合、キーボード・マガジンを購入することさえあった。彼が購入したある号の表紙には「パブリック・エネミー」の写真が掲載されていた

「このキーボード・マガジンは何度も読み返した。ラップレコード制作について知りたかったことが全て説明されていたからだ。ただ一つ問題だったのは、MPCやSP1200、スタジオに通うための何千ドルもの資金がなかったことだ。記事でループについて読んだ記憶があって、どういうわけか、映画『ワイルド・スタイル』に登場するグランドマスター・フラッシュと、デトロイトで2台のカセットデッキでオーバーダブ・ミックステープを作るDJの様子を技術的に結びつけた。こうして最初のビート作りを始めたんだ」
約1年後、従兄弟が知人から「SP12」を600ドルで売っていると聞き、ケビンはライブ演奏で稼いだ金を貯めてそれを購入した
「すぐに、それが記事のSPとは異なる機種だと気づいた。必要なのはSP12じゃなく「SP1200」だった。ただ問題は、ドラムマシンが中古市場でしか入手できず、結局SP12に落ち着いてしまったことだ。だからその機材の細部まで徹底的に学んだ。それにカセットデッキ2台を使うよりはずっとマシだった。それからまた1年ほど経った頃、デトロイトの楽器店でSP1200が1500ドルで売られていると友人から聞いた。問題は現金が1500ドルなかったことだが、利用可能枠が1000ドルのクレジットカードを2枚持っていたから、デトロイトまで車を走らせて買いに行ったんだよ」

大学卒業後、様々なアルバイトをしながら生計を立てていたケヴィンは、DJ活動やビートメイキングで音楽から副収入を得ていた
「音楽で小銭は稼げたけど、生活できる額じゃなかった。特に学生ローンの返済がある身ではね。でも、大学時代にSP1200に投資したことと、プルーフとの再会が人生を変えることになるとは、当時は思いもしなかった」

ヒップホップ・ショップのオープンマイクでDJとして活動しながら、プルーフを通じてエミネムと出会ったんだ。たぶん『Backstabber』のカセットは既にリリースされていて、『Infinite』のアルバム制作中だったと思う。プルーフがSP1200を借りたいって電話してきたんだ。家から数ブロック先の『8マイル』にあるスタジオで彼に会った。人生で何度も通り過ぎていたのに、そこにスタジオがあるなんて全く知らなかった。だがまさにここでエミネムは『Infinite』を録音していたんだ。
あるセッションで『WEGO』のスキットが録音された。これはプルーフケヴィンが『WEGO』というミックステープシリーズをリリースしていたことが理由だ。『Infinite』のプロモーション用スキットを録音したのが、彼がエミネムと初めてセッションした瞬間だった。
当時、様々なDJやプロデューサー、ビートメイカーによるビートテープがシーン内で常に流通していた。街中には数多くのダブ(テープ)が溢れ、皆同じスタジオを使い、同じ場所で集まり、同じ会場でパフォーマンスしていた。ラッパーたちがオリジナル曲を書くために、様々な人物から入手したビートテープを手にしている、そんな風潮があったんだ。
当時、ニューヨークへロードトリップに出かけて人脈作りやデモ音源の売り込みをするのはごく普通のことだった。ある時、俺たちはレンタカーを借りてエミネム、ビザール、セオリーと共にその目的で現地へ向かった。車内には常に音楽を聴くためのテープを用意していたし、配るためのビートテープも持っていた。何か聴こうとデッキに自分のテープを挿入すると、「Just The Two Of Us」のビートが流れた。エミネムはそのビートについて尋ねてきた。彼は既に聴いていたんだ。運転中におそらく一部をラップで披露してくれたと思う。全く知らなかった!そのビートは他に使われていなかったし、コンセプトもすごく気に入ったから、デトロイトに戻った後SP1200をスタジオに持ち込んでビートを録音したんだ。エミネムが気にかけてくれたビートが、あの曲になったんだよ!」
「Just The Two Of Us」を録音した際、彼が“スリム・シェイディ”という新しいプロジェクトのことをケヴィンに話した。そこからケヴィンはひたすらビートテープを作って彼に渡すようになった。そして気に入ったビートがあればすぐにスタジオで録音した。
「ビートから何か感じ取れたら、スタジオに行ってテープに録音した。時々エミネムが家に遊びに来ることもあって、俺がゼロから次々とビートを作っている最中に「ようエム、気に入った部分があったら言ってくれ」と言って、フロッピーに保存して脇に置いておいた」
「また、この最中にヒップホップショップが閉店し、週末にカーシティレコードで働く機会が巡ってきた。カーシティで働いている間、さらに多くのレコードをサンプリングできる環境にあった。それらのサンプルの一部は『Slim Shady EP』や他のエミネム関連プロジェクトで使用した。『Slim Shady EP』のリリースが始まってから、Dr Dreやアフターマスとの後の経緯は周知の通りだ」

J・ディラとも何度か偶然会ったことがある
プルーフが関係を正式なものにした。皆が同じことに夢中だった。ディグすること、DJすること、ビートを作ること。音楽を作るためならどこからでもリソースを集めようとしていた。ジェイは俺が持っていないレコードや機材を持っていて、逆もまた然り。レコード、ターンテーブル、ミキサー、トラックマシン、カセットデッキ、SP1200、そして型破りな発想(ビートバトル)で埋め尽くされた地下室。あのビートバトルで使ったビートの一部は、実際にリリースされる曲になったんだ」
デトロイトで育ち、ラジオで『Jeff Mills』や『Mojo』を聴いていたとはいえ、つまりあらゆるジャンルの音楽が混ざり合っていたDJを聞いていたにもかかわらず、ケヴィンの音楽的関心の大部分はヒップホップシーンに向けられていた
「ラジオをつければJeff Millsのプレイが流れるのも珍しくなかった。彼が流していたのは、モデル500>ランDMC>ファンカデリック>B-52’s>プリンス>リサ・リサ>ディーヴォ>2ライブ・クルー>バストロニック>キャプテン・ラップ…といった具合だ。でも大学ではヒップホップがより身近になった。まったく違う空間だったからね。それに、週末たまに帰省したり休暇で帰ったりする以外は、デトロイトのラジオをそんな風に聴く機会がなかった。今や文化的な雰囲気(MSUのヒップホップラジオ番組)の一部になれる機会も、このジャンルにさらに傾倒するきっかけとなった。レーベルやストリートのプロモーターは、ラジオで流すためにラップのプロモ盤を局に大量に送りつけてきた。3年生になる頃には、ミックスで主にラップのレコードを回すようになっていたんだ」
SP1200とサンプリング文化
「レコードからサンプリングするのが大好きなんだ。だって、レコードを録音したアーティストたちは、最高のパフォーマンスをレコードに刻むために心と魂、そして最高の力を注いでいるからね。関わった全員から、唯一無二のエネルギーをたっぷり感じ取れるんだ!チョッピングの技法は、SP1200のサンプリングタイムや技術に制限があったことから生まれたんだ。あのマシンで4小節のサンプルをループさせるなんて無理だ。だから切り刻んで(チョップ)小片にし、それを自分の4小節に組み直すのが対処法だった」
「それが自然と習慣になったんだ。切り刻みの良いところは、ループに比べ制御が効く点だ。ループは完璧に繰り返せるが、もし演奏者の誰かがループの特定部分でリズムをずらしたら全体が狂ってしまうからね」

作曲のテクニックについて
「音楽制作のあらゆる要素において、魂を満たす豊かな糧を与えてくれるのは、ほぼ日常の生活そのものだ。一瞬の閃きが素晴らしいアイデアを生むことも数多くある。玄関を出た瞬間から、あらゆる可能性が広がっているんだ」
「そして何より——ライブだ。長年にわたり、全てのライブで観客の分析を続けてきた。ラップバトル、テレビ番組、ツアー、企業向けトップ40、テクノ、結婚式、誕生日、卒業式、テールゲートパーティーなど…どんな場面でも俺は観察している。DJプレイ中は様々なことが同時に起こり、俺はそれを全て吸収している。あとはレコードショップ。デトロイトのピープルズ・レコードで働いているが、そこはカーシティ・レコード同様、音楽のエネルギーが溢れる聖堂のような場所だ。レコード、書籍、コレクターズアイテム、古くからの友人、新しい友人、DJ、ミュージシャン、プロデューサー、エンジニア、プロモーター、アーティストなどが集う場所だ。出勤するたびに新たな発見がある。そして最後に——ミニマリズム。シンプルに、要点を押さえること。これら全てを吸収し、人々が楽しめる最高の作品を作り上げるよう努めているんだ」

RipX DAWについて
「RipX DAWはまるで超万能なスイスアーミーナイフだ。教育、ミキシング、サウンドの実験など、さまざまなワークフローに対応できる。編集・サウンドの変形・MIDI操作をひとつのワークスペースで完結できるのが最高なんだ。複数のプログラムやプラグイン、ハードウェアを行き来する必要がない」
自身が育った1980年代に回帰する。Bill N Isiah『Valid & Stretch Money』のプロジェクト
「これは俺の人生の特定の時期を現代風にアレンジしたものだ。長年仕事に取り組んできた自分の姿勢にようやく気づいた。まさに絵を描くような作業なんだよ。現在も様々な形でヒップホップシーンに関わっている。DJ活動、レコーディング、開発、そして型破りな発想の提供を続けている」
「とはいえ、最近はファンクやソウルシーンに深く関わっているんだ。レアなレコードを探し回ったり、レコードをプレイしたりする、俺を笑顔にしてくれる原点に直結するからさ。あのレトロなレコードを流すライブは本当に楽しいよ。集まる観客の層はめちゃくちゃ幅広いよ。俺が好きなもの全てが混ざり合っている。観客は忠実で、互いを支え合う大きな家族みたいな存在で、アーティストも観客も人気やトレンドを追わない独立したムーブメントがある。それがデトロイトの良さだよ」

DJや音楽全般の未来について、何か考えや予測はありますか?
「AIがDJやアーティストを廃業に追い込む時代が来ないことを願ってる。聴衆に次に流すべき曲を計算するデータは絶え間なく流れているからね。うーん……」
「テクノロジーはますます自律性を可能にしている。これは俺たちに挑戦を促し、新たな音楽スタイルの創造を促すもので非常にワクワクしているんだ。コンピューティングが時間と共に強力になるにつれ、いずれデジタル環境でもアナログの温かみを再現できるようになると思う。現時点では個性や感情表現はまだ弱いけど、確実にその方向に向かっていくはずだ」
最後に、DJ Headが音楽業界でキャリアを始める全ての人へ贈る、最も重要なアドバイスは?
「他の奴らの動きを常に先取りしろ。それが進歩につながる。自分自身を掘り下げ、限界を押し広げ、インスピレーションを与え続けるんだ。」











