TRIDENT HISTORY
<コンソール年表>
1971 - A-Range スプリットデザインのファーストコンソール
1973 - B-Range スプリットデザインのセカンドコンソール
1979 - Fleximix ライブサウンドコンソール
1979 - TSM スプリットデザインのクアッドコンソール
1980 - Series 80
1981 - Trimix リアパネルパッチングのスプリットデザイン・コンソール
1983 - Series 80B
1983 - Series 70 オンボードパッチベイ・ハイブリッドTrimix
1984 - TIL TRIDENT初のインラインコンソール
1984 - Series 65
1985 - Series 75
1986 - Di-An 初のデジタルコントロールを採用したアナログコンソール
1987 - Series 80C
1989 - Series 16/24
1989 - Vector 432
1992 - Series 90
1994 - Ventura
2015 - Trident 88 スプリットデザイン・8バスアナログコンソール
2017 - Trident 78 スプリットデザイン・8バスアナログコンソール
Trident A-Rangeの誕生
着想、そしてコンポーネントの選定段階からケン・スコット、ロイ・トーマス・ベーカー、マルコム・トフト、バリー・シェフィールドそしてデザイナーのバリー・ポーターをはじめとするTridentのエンジニア、スタッフ達が集結し、骨の折れるような再三のリスニングテストを通して設計されます。
結果A-Rangeは何よりもそうしたプロのスタッフ達の”耳”によって作られたもので、実際にそのサウンドは他のコンソールとは一線を画した結果を得られTrident A-Rangeが誕生しました。
着想、そしてコンポーネントの選定段階からケン・スコット、ロイ・トーマス・ベーカー、マルコム・トフト、バリー・シェフィールドそしてデザイナーのバリー・ポーターをはじめとするTridentのエンジニア、スタッフ達が集結し、骨の折れるような再三のリスニングテストを通して設計されます。
結果A-Rangeは何よりもそうしたプロのスタッフ達の”耳”によって作られたもので、実際にそのサウンドは他のコンソールとは一線を画した結果を得られTrident A-Rangeが誕生しました。
Trident B-Range
A-Rangeのインストールの前から、その名前は業界で知れ渡り始めていました。そしてTridentはその後1972年初頭にミュージシャンでプロデューサーのジョン・コンガスのためのコンパクトなモデルの製造オファーを受けます。これが後にTrident B Rangeとして製品化されたのです。
そしてChipping Norton Studiosから2番目の注文を受けたことで、Trident Audio DevelopmentsまたはTRIADは正式にメーカーとして発足します。
新たに設立されたTrident Audio DevelopmentがA-RangeとB-Rangeの両コンソールが高い評価と成功を収めたことで、同社の製品ラインナップを拡げるための新しいコンソール・デザインの開発が始まりました。それに続きTridentは、1979年に発売されたFleximixとTSM、両コンソールでも、さらに多くの成功を収めます。
A-Rangeのインストールの前から、その名前は業界で知れ渡り始めていました。そしてTridentはその後1972年初頭にミュージシャンでプロデューサーのジョン・コンガスのためのコンパクトなモデルの製造オファーを受けます。これが後にTrident B Rangeとして製品化されたのです。
そしてChipping Norton Studiosから2番目の注文を受けたことで、Trident Audio DevelopmentsまたはTRIADは正式にメーカーとして発足します。
新たに設立されたTrident Audio DevelopmentがA-RangeとB-Rangeの両コンソールが高い評価と成功を収めたことで、同社の製品ラインナップを拡げるための新しいコンソール・デザインの開発が始まりました。それに続きTridentは、1979年に発売されたFleximixとTSM、両コンソールでも、さらに多くの成功を収めます。
Trident Series 80
1980年にはTridentが最も成功したコンソールとなるSeries 80コンソールをリリースします。Series 80の後にはTrimixのリリース、更にその後1983年にはSeries 80Bコンソールが発売しました。最も競争力のある価格設定ながら豊富なオプションと構成を展開し、80Bは当時最も人気のあるコンソールの1つとして数えられ、日本国内でも導入が進みます。
Series 80Bは、コンソールそのものの機能だけでなく、特にそのEQにも多くの評価を得て、世界的に有名なコンソールとしての地位と認知を確立しました。
80B EQは、特にロック・ミュージックに最適なEQの1つと考えられています。そのため80Bでレコーディング、ミックスしたアーティストやアルバムのリストは非常に膨大に渡り、完全なリストを作成することすらも出来ない程となっています。その一部を挙げるとビートルズの「ヘイ・ジュード」と、その同時期に制作された「The Beatles」(通称”ホワイト・アルバム”)の数曲。デビッド・ボウイのアルバム「スペース・オディティ」、「ハンキー・ドリー」、「ジギー・スターダスト」、「アラジン・セイン」。ジョージ・ハリスンの「オール・シングス・マスト・パス」。エルトン・ジョンの「黄昏のレンガ路」、「青い肖像」、そして「シングル・マン」。カーリー・サイモンの 「うつろな愛」。 メリー・ホプキンの「悲しき天使」。ハリー・二ルソン「ウイズアウト・ユー」。 クイーン の「Queen」、「Queen II」、「シアーハート・アタック」。 スーパートランプの「クライム・オブ・センチュリー」。これらの名盤はすべてTrident Studioでレコーディングされたのです。また、リリースから数十年を経た今日においても、80Bは依然として需要があり、今日もまた世界のどこかのスタジオで稼働しているのです。
Tridentは常に、高価なコンソールから得られるであろうすべての要素を、スタジオのための手頃な価格のパッケージでもたらすように努力し続けています。これは今日もなお変わらぬ理念として存在しており、Trident Audio Developmentは皆が楽しむために最高のツールをこれからも製造し続けるでしょう。
1980年にはTridentが最も成功したコンソールとなるSeries 80コンソールをリリースします。Series 80の後にはTrimixのリリース、更にその後1983年にはSeries 80Bコンソールが発売しました。最も競争力のある価格設定ながら豊富なオプションと構成を展開し、80Bは当時最も人気のあるコンソールの1つとして数えられ、日本国内でも導入が進みます。
Series 80Bは、コンソールそのものの機能だけでなく、特にそのEQにも多くの評価を得て、世界的に有名なコンソールとしての地位と認知を確立しました。
80B EQは、特にロック・ミュージックに最適なEQの1つと考えられています。そのため80Bでレコーディング、ミックスしたアーティストやアルバムのリストは非常に膨大に渡り、完全なリストを作成することすらも出来ない程となっています。その一部を挙げるとビートルズの「ヘイ・ジュード」と、その同時期に制作された「The Beatles」(通称”ホワイト・アルバム”)の数曲。デビッド・ボウイのアルバム「スペース・オディティ」、「ハンキー・ドリー」、「ジギー・スターダスト」、「アラジン・セイン」。ジョージ・ハリスンの「オール・シングス・マスト・パス」。エルトン・ジョンの「黄昏のレンガ路」、「青い肖像」、そして「シングル・マン」。カーリー・サイモンの 「うつろな愛」。 メリー・ホプキンの「悲しき天使」。ハリー・二ルソン「ウイズアウト・ユー」。 クイーン の「Queen」、「Queen II」、「シアーハート・アタック」。 スーパートランプの「クライム・オブ・センチュリー」。これらの名盤はすべてTrident Studioでレコーディングされたのです。また、リリースから数十年を経た今日においても、80Bは依然として需要があり、今日もまた世界のどこかのスタジオで稼働しているのです。
Tridentは常に、高価なコンソールから得られるであろうすべての要素を、スタジオのための手頃な価格のパッケージでもたらすように努力し続けています。これは今日もなお変わらぬ理念として存在しており、Trident Audio Developmentは皆が楽しむために最高のツールをこれからも製造し続けるでしょう。
スタジオ・ハイライト:EASTWEST STUDIO
数あるEastWestスタジオの中でも最も有名なスタジオの1つとしてSTUDIO 3は知られています。ママス&パパス、ビーチボーイズ、そしてタートルズをはじめとするレコーディングを果たしたこのSTUDIO 3は、まさに音楽史の年鑑にまとめられるような存在です。
60年代を象徴するヒット曲の多くは、このStudio 3で生まれました。ここではママス&パパスの”カリフォルニア・ドリーミング 邦題:夢のカリフォルニア”と “マンデー・マンデー”。スコット・マッケンジーのクラシック 曲”サンフランシスコ”を共にレコーディングしています。 また、STUDIO 3で収録したもっとも特筆すべき1枚のアルバムは1966年のビーチボーイズの傑作『ペット・サウンズ』が挙げられるでしょう。
Studio 3には、40チャンネルのNeve フライング・フェーダー仕様の、世界で11台のみ存在するオリジナルのTrident A-Rangeがインストールされており今もなお稼働しています。
Sound on SoundのインタビューにてEastWestのBrake RogersがStudio 3とA-Rangeコンソールを紹介しています(7:40ごろよりStudio 3を紹介)。
数あるEastWestスタジオの中でも最も有名なスタジオの1つとしてSTUDIO 3は知られています。ママス&パパス、ビーチボーイズ、そしてタートルズをはじめとするレコーディングを果たしたこのSTUDIO 3は、まさに音楽史の年鑑にまとめられるような存在です。
60年代を象徴するヒット曲の多くは、このStudio 3で生まれました。ここではママス&パパスの”カリフォルニア・ドリーミング 邦題:夢のカリフォルニア”と “マンデー・マンデー”。スコット・マッケンジーのクラシック 曲”サンフランシスコ”を共にレコーディングしています。 また、STUDIO 3で収録したもっとも特筆すべき1枚のアルバムは1966年のビーチボーイズの傑作『ペット・サウンズ』が挙げられるでしょう。
Studio 3には、40チャンネルのNeve フライング・フェーダー仕様の、世界で11台のみ存在するオリジナルのTrident A-Rangeがインストールされており今もなお稼働しています。
Sound on SoundのインタビューにてEastWestのBrake RogersがStudio 3とA-Rangeコンソールを紹介しています(7:40ごろよりStudio 3を紹介)。
スタジオ・ハイライト: CHEROKEE RECORDING STUDIOS
A-Rangeコンソールの事例についてはもう一つ、今や伝説として語りつがれるハリウッドのCHEROKEE RECORDING STUDIOSが挙げられます。 CHEROKEE STUDIOSは4台のA-Rangeコンソールを所有していたことでも知られており、長年にわたって次のような多くのバンドやアーティストがCHEROKEEのA-Rangeコンソールでレコーディングしてきました。
デビッド・ボウイ:1975年、ゴールド・アルバムとなる『ステーション・トウ・ステーション』をレコーディングするためにCherokee Studioを訪問したことを若き日のキャメロン・クロウがローリング・ストーン誌にて寄稿しています。
モトリー・クルー:モトリー・クルーは、Cherokee Studioで彼らのプラチナム・アルバムとなる『シアター・オブ・ペイン』と『シャウト・アット・デビル』をレコーディングしました。
ハリー・二ルソン:1978年から1980年にかけて、自身の最後のアルバムとなった『フラッシュ・ハリー』をCherokee Studiosでレコーディングしました。スティーブ・クロッパーによるプロデュース、エンジニアのブルース・ロブによって収録されたアルバムは、リンゴ・スター、 ポール・スタールワース 、エリック・アイドルとマック・レベナック達によるコラボレーションもあり非常にクリーンでソウルフルなサウンドを実現しています。
ボニー・レイット:Cherokee Studiosのすぐ後ろにあるウエスト・ハリウッドのアパートに住んでいたこともあり、ボニー・レイットは音楽プロデューサーのブルース・ロブとスティーブ・クロッパーと一緒にバックアップのボーカルをレコーディングしています。
フランク・シナトラ:1975年にフランク・シナトラはCherokeeで『シナトラ・クリスマス・アルバム』をレコーディングしました。
ウィヤード・アル・ヤンコビック:1982年にCherokeeでアル・ヤンコビック自身の50万枚以上のセールスを記録したファースト・アルバムをレコーディングしました。
リンゴ・スター:1980年にCherokee Studioで『バラの香りを』をレコーディングしている間、リンゴ・スターはジョージ・ハリスン、ポール・マッカートニーとリンダ・マッカートニーをアルバム・ゲストとして招待しました。その中でポール・マッカートニーとハリスンもいくつかのトラックを制作しています。リンゴはジョン・レノンにも手伝ってもらうように働きかけますが、レノン没後のアルバム『ミルク・アンド・ハニー』に収録された2つ楽曲のデモを受け取っていた、と報じられています。
レノンは1981年1月にロサンゼルスでのこのレコーディングに参加することに同意しており、元ビートルズのささやかな再会となるはずが、1980年のレノンの暗殺によって実現することは叶いませんでした。ここではローリング・ストーンズのロニー・ウッドが、Cherokeeスタジオにてリンゴのアルバムでコラボレーションし、ギター、ベース、サックス、キーボード、バックアップ・ボーカルをレコーディングしています。
ウォーレン・ジボン:2002年、末期の病気のウォーレン・ジボンがCherokee Studiosにやってきて、彼の最終アルバムである『ザ・ウインド』をレコーディングしました。ニック・リードは、Cherokeeでのドキュメンタリー「ウォーレン・ジボン:キープ・ミー・インユア・ハート」のためのジボンの最後のレコーディングを収録しました。ブルース・スプリングスティーンはチェロキーのシングル「ディスオーダー・イン・ザ・ハウス」に参加しました。Cherokeeのオーナー、ブルース・ロブはリード・ギターとサポート・ボーカルに加わっています。
マイケル・ジャクソン:マイケル・ジャクソンの1979年のアルバム『オフ・ザ・ウォール』は、Cherokee Studiosでレコーディングされました。
A-Rangeコンソールの事例についてはもう一つ、今や伝説として語りつがれるハリウッドのCHEROKEE RECORDING STUDIOSが挙げられます。 CHEROKEE STUDIOSは4台のA-Rangeコンソールを所有していたことでも知られており、長年にわたって次のような多くのバンドやアーティストがCHEROKEEのA-Rangeコンソールでレコーディングしてきました。
デビッド・ボウイ:1975年、ゴールド・アルバムとなる『ステーション・トウ・ステーション』をレコーディングするためにCherokee Studioを訪問したことを若き日のキャメロン・クロウがローリング・ストーン誌にて寄稿しています。
モトリー・クルー:モトリー・クルーは、Cherokee Studioで彼らのプラチナム・アルバムとなる『シアター・オブ・ペイン』と『シャウト・アット・デビル』をレコーディングしました。
ハリー・二ルソン:1978年から1980年にかけて、自身の最後のアルバムとなった『フラッシュ・ハリー』をCherokee Studiosでレコーディングしました。スティーブ・クロッパーによるプロデュース、エンジニアのブルース・ロブによって収録されたアルバムは、リンゴ・スター、 ポール・スタールワース 、エリック・アイドルとマック・レベナック達によるコラボレーションもあり非常にクリーンでソウルフルなサウンドを実現しています。
ボニー・レイット:Cherokee Studiosのすぐ後ろにあるウエスト・ハリウッドのアパートに住んでいたこともあり、ボニー・レイットは音楽プロデューサーのブルース・ロブとスティーブ・クロッパーと一緒にバックアップのボーカルをレコーディングしています。
フランク・シナトラ:1975年にフランク・シナトラはCherokeeで『シナトラ・クリスマス・アルバム』をレコーディングしました。
ウィヤード・アル・ヤンコビック:1982年にCherokeeでアル・ヤンコビック自身の50万枚以上のセールスを記録したファースト・アルバムをレコーディングしました。
リンゴ・スター:1980年にCherokee Studioで『バラの香りを』をレコーディングしている間、リンゴ・スターはジョージ・ハリスン、ポール・マッカートニーとリンダ・マッカートニーをアルバム・ゲストとして招待しました。その中でポール・マッカートニーとハリスンもいくつかのトラックを制作しています。リンゴはジョン・レノンにも手伝ってもらうように働きかけますが、レノン没後のアルバム『ミルク・アンド・ハニー』に収録された2つ楽曲のデモを受け取っていた、と報じられています。
レノンは1981年1月にロサンゼルスでのこのレコーディングに参加することに同意しており、元ビートルズのささやかな再会となるはずが、1980年のレノンの暗殺によって実現することは叶いませんでした。ここではローリング・ストーンズのロニー・ウッドが、Cherokeeスタジオにてリンゴのアルバムでコラボレーションし、ギター、ベース、サックス、キーボード、バックアップ・ボーカルをレコーディングしています。
ウォーレン・ジボン:2002年、末期の病気のウォーレン・ジボンがCherokee Studiosにやってきて、彼の最終アルバムである『ザ・ウインド』をレコーディングしました。ニック・リードは、Cherokeeでのドキュメンタリー「ウォーレン・ジボン:キープ・ミー・インユア・ハート」のためのジボンの最後のレコーディングを収録しました。ブルース・スプリングスティーンはチェロキーのシングル「ディスオーダー・イン・ザ・ハウス」に参加しました。Cherokeeのオーナー、ブルース・ロブはリード・ギターとサポート・ボーカルに加わっています。
マイケル・ジャクソン:マイケル・ジャクソンの1979年のアルバム『オフ・ザ・ウォール』は、Cherokee Studiosでレコーディングされました。
Trident 78 コンソール
新たに誕生したSeries 78コンソールは、すべてのTridentシリーズに通ずる、フル・アナログ設計の新しいコンソールデスクです。
Trident Series 78は、エンジニア、スタジオ、教育機関、公共施設やライブ・サウンド・シチュエーションなど、あらゆる現場で活用できる、汎用性の高いコンソールです。
Trident 88 コンソール
Trident 88は今や伝説として語りつがれるSeries 80ミキシングデスクを進化させた、クラシックなスタイルのインライン8バス・アナログ・コンソールです。
製造性を念頭に設計された88コンソールは、使いやすさと信頼性をベースとし巧みに構成されています。
88コンソールはパーソナル・ユース、スタジオや施設などの現代のハイエンド・ニーズに応える16、24、32および40チャンネルの各構成でラインナップされています。